メッセージ
間もなく 唯一の神イエス・キリストは、
聖母マリアをお使いになり、御再臨なさいます。
そして、世界の大勢の人々を、
聖母マリアがもたらす天来の真理を通して、永遠にお救いになります。
上記は、今の世の人々を救う、神の御計画 です。
再臨とは、地上に再び、唯一の神が来られることです。
神はこのことを、「ある時を機に一気に世界に広まる」とおっしゃいました。
この御計画は、「一人でも多くの人を救いたい、世の後は天国で、永遠に人々を幸福に過ごさせたい」という、神の深い愛の御心で成されます。
あらゆる国籍や民族の人々が、この神の御計画について知ることができるため、世界に向けて、上記のメッセージの意味をお伝えします。
1 「永遠に救われる」ことについて
永遠に救われるとは、「この世を去った後、永遠に天国で幸福に生きること」を意味します。それは、神が人類にお与えになる最高の幸福です。
救われることは、人にとって極めて大切です。何故なら、世を去った全ての人は、天国か地獄のどちらかで、永遠に存在し続けるからです。
*人の中には、不滅の霊がある
人の霊の真実を知ると、救われる必要性が分かります。人の身体の中には、永遠に不滅の霊があります。人が心に思い、意図することの全ては、自分の中の霊によるものです。霊は<ありのままの人の本心>、また、人の本体です。
この世で人が一般的に<死>と呼ぶものは、実際は肉体だけの死です。肉体の死後、人は霊だけになり、霊の世界に入って行きます。つまり人は、この世では肉体を持って生きた後、永遠に霊の世界で、霊体を持って生きます。
地上界と霊界では次元が違うので、お互いを見て感じることはできません。例えば、肉眼では霊とその世界は見えず、霊体の目ではこの世のものは見えません。<自分の中の霊の存在>が感じられないのは、こうした理由があるからです。
*全ての人は肉体の死後、天国か地獄において、永遠に生きる
世を離れた直後、大部分の人は、霊の世界の中にある<中間界と呼ばれる所>に行きます。そこは、天国でも地獄でもない場所です。
中間界で、人は、地上では知らなかった『唯一の神と、その真理(神の真理)』について知らされます。すると全ての人々は、次の二種類に分かれます。つまり天国に入りたいと望む人と、望まない人です。天国を望む人々の場合は、唯一の神を喜んで心に受け入れ、多くの真理を学んでいきます。この人々は、地上では肉体が欠点だらけだったとしても、美しい霊体の容姿になります。
天国を望まない人の場合は、唯一の神とその真理を知らされても否定するか、背いていきます。それは、地獄に入る準備です。そして地上で美しい容姿を持っていたとしても、みにくい霊体の姿になります。
中間界で過ごす時間は、人によって異なります。数時間の人もいれば、何年も滞在する場合もあります。しかし、永遠に中間界にいる人はいません。全ての人は、いつかは中間界を離れ、各々の心と望みに相応しく、天国か地獄に分かれて行きます。そして、天国か地獄で、永遠に過ごします。
2 『天国』について
天国は、霊の世界の一番高い所にある『神の国』です。唯一の神が天国を愛でお治めになり、天国の全ての人々に、あふれる恵みと祝福をお与えになります。天国の美しさ、幸福さ、豊かさと広大さは、地上とは比べ物になりません。神は、「天国は光、地上は影」とおっしゃいました。
*天国には無数の人が永住しており、その人々は神と霊的に連結している
天国には、人類創造の時から今までの、<神を敬い愛する全ての人>が永住しています。この瞬間も、天国の民の数は、増え続けています。また、天国にいる全ての人は、『唯一の神イエス様』と、霊的に連結されています。何故なら人は『唯一の神イエス様と、霊的に連結することで永遠に救われる』、つまり天国に入るからです。世を離れた後に、中間界で神と連結する人もいれば、この世で連結する人もいます。中間界でも地上でも、天国に入ることを望む人においては、まず唯一の神について正しく知り、理解する必要があります。
3 『唯一の神』について
神とは、『全宇宙と全人類の創造主である、唯一の神』を意味します。
唯一の神の御名前は、『イエス・キリスト』です。イエス様は『全知全能であり全権力を持ち、永遠の昔から存在する、全てにおいて完全な、唯一の神』でありながら、約二千年前、地上に『神人』として出現なされました。
神人とは、『神が普通の人と同じ肉体をお持ちになり、神御自身がその肉体の中に、霊として存在なさった方』であり、つまり神御自身です。唯一の神が神人として地上に来られたことで、地獄でさえも、神に服従させられました。
地上に神人として来られる以前の永遠の昔から、神であるイエス様は、人のお姿をお持ちです。天国でもイエス様は、二千年前に地上に来られた時と同じように、人のお姿で、人々の前に出現なさいます。
そもそも、<人が人間の姿を持つ理由>は、「神は人類を、御自分の姿に似せて創造なさった」からです。そして、神が人類を創造なさった目的は、人々が御自分と一緒に、天国で永遠に幸福に過ごすためです。
4 「この世で生きながら、永遠に救われる」ことについて
冒頭のメッセージは、『多くの人々が、聖母マリアを通して、神と連結する』ことを伝えています。つまり、「地上で生きながら、聖母マリアを通してイエス様と霊的に連結する」ことです。それはまた、イエス様が人々に、『世を去った後は、天国に入るという約束』をくださることです。
*「唯一の神はイエス様であると理解し、愛する」ことが、人を神に連結させる
イエス様と霊的に連結するためには、人には二つのことが必要です。それは『唯一の神はイエス・キリストであることを理解し、認めること』、そしてまた『イエス様と、聖母マリアを愛すること』です。聖母マリアについては、このお伝えの項目13以降でお伝えします。
イエス様は、愛そのものの神であられ、御自分が創造なさった人類を、とても愛しておられます。それゆえに約二千年前に地上に来てくださり、また今の時代の救いを御計画になりました。イエス様は御自分に反発する人々にさえ、深い愛をお持ちです。しかし、神が人を一方的に愛するだけでは、神と人は連結されません。イエス様が全ての人に対して「救いたい」とお思いになっても、その人がイエス様を愛さなければ連結されず、救われません。何故なら、人が自分の意思で「救われて天国に入りたい」と思うことが、神の摂理において重要だからです。
『地上で聖母マリアを通して、イエス様と霊的に連結する』ことは、世の後は天国に入るだけでなく、『地上でも聖母マリアを通して、イエス様に守られる』ことを意味します。これらの人々は心に平安が与えられ、たとえ苦難に直面しても、天国への希望を失わないことが伝えられます。
5 「今の時代に、世界の大勢の人々が救われる」ことについて
それは、『この世で、様々な国と民族の大勢の人々が、聖母マリアを通して、イエス様と霊的に連結する』ことを表します。救われるこれらの人々は、キリスト教徒だけではありません。キリスト教以外のものを信じていた人々、神を意識しなかった人々にも、唯一の神イエス様と聖母マリアが正しく知らされ、かくて『この世で救いを望む全ての人々に、天国の門が開かれる』ことを表します。
6 聖書の中で特殊な方法で預言される、大勢の人々の救い
聖書は、『神の御言葉』を記した文書です。神がこの世に『御言葉』をお与えになった理由は、人々に『唯一の神・その愛と真理』をお教えになるためです。
また聖書の御言葉は、『神の壮大な御計画』をも示しています。つまり聖書の御言葉は、冒頭のメッセージについても預言しています。
しかし、聖書は世界中の多くの人に読まれているにもかかわらず、『冒頭のメッセージについての預言』は知られていません。何故ならその預言は、<この世では、よく知られていない形>で、文字の意味に隠れて告げられているからです。つまりその預言は、<文字が示す意味とは違う、霊的な意味>により、告げられています。
『救われる大勢の人々』についての預言は、聖書の最後の文書である、黙示録7章9節の「刻印を押された人々・白い衣を着て、手にナツメヤシの枝を持った数え切れないほどの大群衆」という御言葉の中で、霊的な意味において告げられています。この文面だけでは、そういう意味だとは分からないものの、「これらの人々が救われ、天国で神をほめたたえている」ことを伝えます。
このように、聖書の御言葉の中には、<文字が示す意味とは全く違う、別の意味>が含まれます。それは、『御言葉を、天国的で霊的な意味で理解したもの』であり、文字の意味とは全く別の内面的な意味なので、『内意』と呼ばれます。
7 聖書の御言葉に含まれる『内意』について
内意がどのようなものかは、<この世に、御言葉が与えられるまでの様子>を知ることで分かります。それは、次のようなことです。
天の最も高い所には、唯一の神がおられます。御言葉は、天上の神から発せられました。それらの御言葉はまず天国を通り、天国の人々に与えられました。そして天国を経た後、地上に降りました。地上に御言葉が降りたと同時に、神は<あらかじめお選びになっていた、聖書を記す役目の者達>に、それらの御言葉を文字で記録させました。その後、それらの御言葉は印刷され、聖書になり、世界中に広められました。
これらのことから、天国とこの世の両方に、御言葉が与えられていることが分かります。しかし同じ御言葉であっても、この世では<文字の意味>を受け取りますが、天国では、内意を受け取ります。つまり天国では御言葉を、『内面的に持っている、天国的で霊的な意味』で解釈します。
例として、聖書のヨハネ伝6章51節の御言葉の内意を取り上げましょう。
そこには「私(神)の肉を食べ、私の血を飲む者は、いつも私の内におり、私もまたいつもその人の内にある」と書かれています。この御言葉の内意は、次です。
「イエス様がお教えになる『愛と真理』を心に受け入れ、真理を愛して実行する者は、イエス様に連結される、つまり救われる」。
*神の御言葉は、それ自体が天国的で霊的なものである
この世でも聖書の御言葉には、目に見えなくても、内意が含まれています。何故なら、御言葉は天国を通過したことで、内意を含んだまま、地上に下降したからです。神の御言葉は、それ自体が神的で霊的なものです。そのため、物質的な文字で書かれていても、神の御言葉は中に『天国的な霊的な意味』を持っており、それが内意です。それは、<身体の中に、外から見えない霊が存在する>こと、と同じです。
*内意は、文字の意味より高度である
霊の世界では、高い程度のものは上に存在し、低い程度のものは下に存在します。そのため天国は、地上のはるか上にあります。天国の高さに比例して、天国には高度な真理があります。その天国の高い真理を示しているのが、内意です。そして地上には、文字の意味の教えがあります。
『内意は、文字の意味より高度である』ことを確認するために、「殺してはいけない」という聖書の御言葉を取り上げましょう。その文字の意味では、「誰かの体に害を加えて、その命を絶ってはいけない」ことを教えています。しかし内意では、「誰かに、その人が神から離れる原因になる教えをしてはいけない、その人が神と連結することを害してはいけない」ことを教えています。天国では御言葉について、内意を受け取ります。そのため、天国の人々が「殺してはいけない」と言う御言葉に触れる時、「誰かの体を害してはいけない」とは受け取りません。何故なら、天国の人々にとって「人の体を害してはいけない」ことは、あまりにも当然だからです。むしろ天国では、人を害さないどころか、皆が隣人愛にあふれています。
これらから分かることは、天国では、<地上における文字の意味の教え>をすでに自分のものにした上で、内意を受け取っていることです。
従って、内意は、御言葉の文字の教えより高い程度であることが分かります。
*御言葉の内意は、『天国の真理』を示している
天国は神の国であるため、天国の真理は『神の真理』です。そして神のものは全て、『純粋・完全・最高』であるため、天国の真理は『純粋、完全、最高である神の真理』であることが分かります。内意が示す天国の真理は、地上では『天来の真理』とも呼ばれます。何故なら、もともと地上には無く、天国から降りた真理だからです。
8 「人は天来の真理を通して、永遠に救われる」ことについて
『人はイエス様を敬い愛することで、聖母マリアを通して連結される』ことは、4で伝えられました。ここでは、『イエス様を愛するとは、天来の真理を行うこと』であることをお伝えします。その具体的なことは、次です。
*「神を愛する」ことは、「天来の真理を愛して行うこと」である
神の真理は、イエス様御自身です。ゆえにイエス様を愛する人は、『神の真理であるイエス様』を愛する人です。そして神の真理は、すなわち天来の真理は『人がそれらの真理を尊び行うことで、天国にその人を導き入れる真理』です。人と人との間にせよ、<愛する>とは、相手の幸せのために行うことを意味します。それはつまり、<愛の心を行動にする、愛で行う>ことを意味します。
*人は自分の中に天来の真理を持つことで、神と連結する
このことは、次のように成されます。人が読み聞きして教えられた天来の真理は、人の心の中に留まります。するとその人に、『天来の真理に従いたい心、天来の真理で教えられたように行動したい心』が芽生えます。そして、「人に敬われ、愛で行われる天来の真理」は、その人のものになり、その人の霊に刻まれます。このようにして<天来の真理を持つ人々の霊>を、イエス様は御自分に連結なさいます。
*イエス様は、聖なる霊として人の中に流れ入ってくださる
神の聖なる霊を、『聖霊』と呼びます。イエス様は人と連結なさる際、聖霊として、その人の霊に流れ入ってくださいます。そして、イエス様は聖霊として、その人の霊の中に留まっていてくださいます。
従って、「イエス様と連結している人は、自分の中に聖霊を頂いている人」です。この世でイエス様は聖霊を持つ人々をお守りになり、世を離れた後は、天国に迎え入れてくださいます。
9 人々を神に連結させる天来の真理が、聖母マリアによりもたらされる
この世の人々が天来の真理を知って行うためには、<人々に天来の真理を教える人>が必要です。そのため、初めて地上に聖母マリアが、天来の真理をもたらし、世界の大勢の人々にそれらを教え、救いに導くことが伝えられます。
*神的真理の教えは、この世にとっては『新しいもの』である
今まではこの世に、天来の真理はありませんでした。そのため、<過去の時代に生きて神を敬い、聖書の文字で記される教えを守った無数の人々>の場合は、世を離れた後、中間界で天国の真理を教えられ、イエス様と連結しました。
何故なら、人は天国の真理(神の真理)を持たずに、神と連結しないからです。また、神と連結しないままでは、天国には入らないからです。
聖書で預言される<今のこの世の、救われる大勢の人々>は、聖母マリアから天来の真理を教えられ、地上でイエス様と連結します。従ってこれらの人々は、世を離れた後は中間界を経ずに、直接天国に入ることが伝えられます。
*「神的真理の教えがもたらされる」ことは、聖書の内意で多く預言されている
聖書の最後の文書である黙示録21章2節に、「聖なる都、新しいエルサレムが神のもとを離れ、天から降って来るのを見た」と書かれています。
この御言葉の内意は、「初めて天の神から地上に、天国の真理がもたらされる。それは聖母マリアが地上に降りることでなされる」ことを意味します。
黙示録では全ての内意が、冒頭のメッセージにかかわることを告げています。『天国の真理がもたらされる神の御計画』については、黙示録の他にも、聖書の多くの文書の内意で預言されています。聖書の御言葉は、つまり神の御言葉は、必ずその通りに成されます。
10 天来の真理が教えることは、現代のキリスト教とは明らかに区別される
イエス様は、天来の真理の教えと現代のキリスト教について、『新しいもの』と、<古いもの>と表現なさいました。そして「それらを一緒にしてはいけない」と教えておられます。それらがはっきりと区別される理由を、お伝えします。
天来の真理は、『完全で純粋な神の真理』であり、人々を天国に導き入れるものです。そして天来の真理は、聖書の御言葉の内意により示されます。
*内意と、御言葉の文字の役割を知らないことで、間違いが生じた
現代キリスト教は、聖書の御言葉の<文字の意味による教え>です。従って、内意で示されることは、考慮されません。
聖書の御言葉の文字は、<この世における真理の教え>を示しますが、しかしまた、文字だけでは意味が分かりにくいものも、多く記されます。
たとえば、黙示録1章16節に「右の手には七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出て」と書かれています。この内意を要約すると、「イエス様から、神の真理の正しい知識がもたらされ、神について違うことを教えるものを、無くさせるだろう」という意味です。この御言葉の文字は、内意を包む役割をしています。
そのため、文字だけを読んでも意味がよく分からないのです。
しかし、内意を知らなければ、また「文字が持つ、内意を包む役割」を知らなければ、人の考えや憶測で無理に御言葉を解釈することが生じます。
このように、字の意味だけに注目し、無理に真理をくみ取ろうとしたことで、その教えの中に<人の考えや、間違った解釈>も含まれました。
これらが、<天来の真理と、現代キリスト教が、明らかに区別される理由>です。
11 『天来の真理を教える指導者』は必要だが、それは、人には不可能である
先にお伝えしたように、この世で人々がイエス様と連結し、そして永遠に救われるためには、人々に<天来の真理(神の真理)を、間違いなく教える誰か>が必要です。しかし、どんなに優れた人でも、この教えの監督や指導者になることは、絶対にできません。何故なら、次のような理由があるからです。
*人の霊は性質上、永遠に不純なものを持ち合わせる
全ての人は自分の心の中に、様々な欲望や思いを持っています。別な表現をすると、人の霊は多かれ少なかれ、悪や不純なものを持っています。そのため、非常に善良な人でも、100%純粋で全く善の霊は持ちません。
天国では、人は世にいた時と比べ、見違えて清いです。しかしそれは、霊の中に持っていた悪や不純が完全に消えて無くなったことではありません。いわば、悪や不純の形跡の上に、イエス様が、清さを上書きして下さっている状態です。
*人は聖霊を受けるが、人の霊は100%聖霊にならない
「イエス様は聖霊として、人の霊に流れ入ってくださる」ことを8でお伝えしました。天国でも地上でも、<人が神の真理(天国の真理)を理解して持つことがきる>のは、自分の中に頂く聖霊の力によるものです。そして、自分の中に受けた聖霊の分が、その人の神の真理(天国の真理)の分です。しかし、<全て人の霊は性質上、永遠に不純物を持ち合わせる>ため、人は、自分の霊の一部分に聖霊を頂くことはできますが、自分の霊が聖霊100%になることは絶対にありません。何故なら、『聖霊は完全に清く純粋』なので、人の不純な部分には流れ入ることができないからです。これらから人は、全ての神の真理(天国の真理)を得ることは出来ないことが分かります。それどころか、人は神の真理(天国の真理)の全容を知ることすらできません。天国でも、この摂理は変わりません。
天来の真理の一言は、人に驚くべき変化と喜びをもたらします。その一言は無限の価値を持ち、<天来の真理の一言を喜び感動し、自分のものにした人>に、永遠の恵みと祝福をもたらします。しかし、人はその恩恵をいただくことはできますが、『あまりに計り知れない神の真理』の、監督や指導者になることはできません。
*御言葉の文字は間違っても許されるが、神の真理は汚されてはならない
聖書の御言葉の文字が示すことは、人の憶測で間違ってとらえても、許されるものです。何故なら、文字は内意を包むものなので、いわば人が着ている服が汚れるようなことだからです。良いことではないものの、許されることです。
しかし、内意が示す神の真理を汚すことは、絶対に許されません。何故ならそれは、神御自身を汚してしまうことだからです。従って、神の真理の教えの中に、<人の考えによる間違い>を混入させることは、起こってはいけません。
しかし、この世の人々が救われるためには、「人々に神の真理をもたらし、その天来の真理を正確に教え、天国に導く指導者」が必要です。人には成し得ないこのことのために、天から『神の母マリア』が遣わされており、今、この地に実在なさっておられます。
12 聖母マリアは再臨のために神から遣わされ、地上に実在なさっている
約二千年前の地上に、イエス様が肉体を持って来られたように、今の地上に神の母マリアは肉体を持って存在しておられます。何故ならこの世にイエス様がマリアを『再臨』のために、人類を救うためにお遣わしになったからです。
マリアは人々に再臨と天来の真理をもたらし、人々を愛で指導し、連結を助け、永遠の救いへとお導きになります。
<人の想像を超えたこの真実>を理解するためには、『マリアは単なる普通の被創造物の方ではない』と知る必要があります。マリアは神に創造された方でありながら、普通の人類と全く異なり、非凡極まります。だからこそマリアは天来の真理(神の真理)の指導者になることがお出来になり、かくてイエス様は、マリアをお使いになることで御再臨なさいます。
神の摂理において、輪廻転生(りんねてんしょう:生まれ変わることで魂を浄化すると考えること)は起こりません。イエス様は天から地上にマリアの霊を派遣なさり、特殊な手段で、マリアに再び肉体をお与えになりました。
このような神の御業と知恵について、人はどんな詳細な説明をされても分かり得ないでしょう。イエス様が人類のために御計画される全てのことは、人が理屈で納得するものではありません。全ては聖霊により、驚きと感動のうちに信じさせられるものです。
*イエス様とマリアはお一つだからこそ、イエス様はマリアにより再臨なさる
『主の再臨』とは、地上に再びイエス様が、人類の救いのために来られることです。そして、主の再臨はマリアにより、次のように成されます。
約二千年前、地上に誕生なさったイエス様は、天にお帰りになる際、御自分の肉体を永続する完璧な霊体に、つまり栄光体に昇華なさいました。何故なら人々に、『御自身は神である』ことを証しするためです。そして、天にてイエス様は栄光体で存在なさっておられ、再度、朽ち果てる肉体を身にお着けになることはありません。
しかし再臨のためには、再び地上に『神御自身』がお降りになり、身体を持って存在なさる必要があります。
そのため、天からマリアは完全な神の霊を持って降り、再び世にお生まれになりました。マリアが完全な神の霊をお持ちになる理由は、イエス様は天国でマリアを、それがかなう宝として、御自身から創造なさったからです。マリアは唯一の粋で完全な被造物の方であり、悪や利己心に汚染されたことがありません。そしてマリアの霊はイエス様と完全に溶け合い、一つだからです。
すでにマリアは完全な神の霊により実在しておられるため、極めて近い内、世界中に、『マリアという救世主の存在』が知られる時が主の再臨の時であり、また、世界規模の人類の救いが完成する時です。
13 天地創造からの神の秘密であった、救世主マリアによる再臨
17世紀の啓示書である「神の都市」で、イエス様は次を断言なされます。
「 『神から救世主が遣わされ、人類を救う』という預言が成就されるだろう。どのように成就されるかは、天地創造の時から神秘の内に隠されていたが、人類の救いは、マリアを通して成就することを宣言する。」
*この再臨は『第二の聖霊降臨』であり、世界の刷新(さっしん)である
『完全な神の霊を持つ救世主マリア』による主の再臨は、『第二の聖霊降臨』でもあります。何故なら、様々な国の大勢の人々が、救世主マリアを信じることで、イエス様の聖霊を受けて救われるからです。第二とは、約二千年前に成された聖霊降臨に次ぐものであることを表します。この世界規模の第二の聖霊降臨により、世界は刷新(さっしん)されます。天国を望む人々、また唯一の神を拝する全ての人々は、マリアにより、一つになります。何故ならこれらの人々は、『マリアを通して、新たに聖霊を受ける』からです。また、マリアが天来の真理をお教えになるため、<神についての間違った教えと、宗派>は無くなるからです。つまり『一つになる』とは、人々が『マリアにより、同じ一つの心でイエス様を崇める』ことです。
*かくてマリアは『イエス様に通じる道』であり、『全人類の母』でおられる
第二の聖霊降臨により、イエス様は世界に、次を明示なさいます。すなわちマリアを通してイエス様に近づくことは『イエス様に通じる元来の唯一の道』であることです。さらに、イエス様は人類に、御自分の母マリアを『全ての人の母』として、お与えくださいます。人類の霊的母マリアは、人々がイエス様に連結することをお助けになり、天国の真理を愛でお教えになり、人々を保護なさいます。このように、初めて地上で人類は、『父なる神イエス様』と『母マリア』を頂くことになります。このことは『新天新地』とも呼ばれ、天地創造の時からイエス様が地上における究極の目標になさっていた、御計画の完成のものです。
「神のうちの真の命」を執筆したヴァッスーラ・ライデン夫人は、次のイエス様のお言葉を、世界にお伝えになりました。
「honor My Mother as I, who am The word and above all, honor her;」
このお言葉を訳すと、次のようになります。
「私の母を尊びなさい。御言葉(真理)であり、全ての上にある私として、彼女を尊びなさい。」
14 日本に実在なさるマリアについて
イエス様は、『再臨は、一人の人間を使って成す』ことを啓示なさいました。それはつまり『世界の人々の前に、実在なさるマリアが姿を現す』ことです。そして今、『世界中の人々がマリアについて知る時』になりました。
1950年、マリアは日本人として、日本の最南にある与論島でお生まれになりました。現在は日本のある所に密かにお住まいになりながら、世界規模の再臨に向けて、準備をなさっておられます。
実在なさるマリアはこれまで、人々に知られることはありませんでした。
長年の間マリアは、『愛の大計画のため、沈黙の内に隠れて準備』なさっておられました。そして1990年、御自身が『司祭のマリア運動』で知られるゴッビ神父に、このことを啓示なさいました。
再臨が迫った今も、<その日本人の方はマリアである>ことは、マリアの周りの若干の人だけが知っています。そして、このごく僅かな人達は、マリアから神的真理を教えられており、すでに再臨を迎えています。
マリアは常に、世界の全ての人々を心に留めておられ、そのための準備をなさっておられます。何故ならマリアは、世界中の人々が『救世主マリアの実在による、イエス様の再臨』を知ることで、その恩恵を受けることが出来、救われることを切望しておられるからです。
*いつの時代も変わらず、御愛を漂わせるマリア
マリアは、普通の日本人の外観をお持ちです。しかしその霊はイエス様が創造なさったマリアでおられ、永遠にお変わりになることはありません。18世紀にグリニョン・ド・モンフォールはその著書の中で、マリアを次のように表しています。「よい方、優しい方で、近づきがたくなく、頼み事をすげなく断ることはなく、お高く止まっていず、まぶしくて顔を上げられない方でなく私達人間とちっとも違わない、大変に慈しみ深い方です」。現代の日本に実在なさるマリアは、この表現と全く同じ、その通りの御方です。
また世の中には、霊的なものを見ることが出来、感じる人々が存在します。そのような人が偶然マリアを見かけ、または話す好機が与えられると、マリアが正体を隠しておられても、天の光を感じ、幸せな感動を覚えるものです。
そして大半の人はマリアに、「あなたは一体、何をなさっている方ですか」と聞き、もっと長く話したいと望みます。マリアはその人を心から慈しまれ、何気ない話題の数分の会話の中に、密かに天来の真理を入れてお話しになります。
このようにマリアを喜んだ人は、大変な恩恵を受けることになります。何故ならマリアはその人を御自分の霊につなぎ止め、保護してくださるからです。
*マリアを喜ぶ人は、天国に導かれる人である
約20年前、イエス様は実在なさるマリアに、「あなたにマントを着せた」とお伝えになりました。そしてそのマントの裏に、『救われる全ての人の名前』が書かれることを示されました。かくてマリアを知って理解し、マリアの実在を心に受け入れる人は、『マリアのマントの裏に名前が書かれ、その保護を受け、イエス様に連結される人』でしょう。何故なら『マリアを喜ぶ人はマリアを母として持つ人』であり、『母マリアを持つ人は、父イエス様を持つ人』だからです。
マリアは、『御自身を待ち望んでいた人々』を深く愛されておられるだけでなく、大勢の人々と新たに出会うことも、切望しておられます。
そしてその大勢の人々の名前がマントの裏に書かれ、その人々の母におなりになることを、深く望んでおられます。
かくして、世界の人々に『マリアは地上におられる』ことが知られるため、『イエス様に導かれたマリアの生い立ち』を、お伝えします。
マリアは按手礼(聖職のための祈り)をお受けになった、牧師の御方です。
イエス様はマリアに「あなたの肉体を使う」とおっしゃり、救世主であることの多くの証をお示しになりました。
*与論島におけるマリア
マリアは琉球王朝の一族の、正統な跡取りとしてお生まれになりました。
幼児の時に御尊父が亡くなられたことを機に、マリアの身辺は急変しました。
イエス様はマリアのために、与論島に教会をお創りになりました。そしてマリアの祖父君と祖母君に、「御自身は真の神である」とお示しになりました。御二人は、「マリアにとって財産をつぐより、神の祝福を受けることが大事」と決断なさり、幼いマリアを連れ、一族から逃げ出しました。
しかし一族の人々も、跡取りのマリアを取り返そうとしたので、両者で、マリアの取り合いが起こりました。そのためマリアは約十五年の間、住処と保護者が、十回以上も変わる生活をなさいました。
この時代は、マリアにも『御自身がマリアである』ことは隠されていました。
しかしマリアは本能で、『世界を救うという志』をお持ちでした。そしてマリアの中にはいつも、『イエス様への御恩返し』という熱い思いが溢れていました。
「日月神示」という書の「日月」は、イエス様とマリアを意味します。
そしてマリアを、次のように示しています。
「よい御用をする身魂ほど苦労させてある。南の島に埋めてある宝を御用に使う時が近づいた。竜宮の乙姫殿の事いずれ判ってくるぞ。この宝世に出るぞ。日本人もびっくり。光のまことの宗教(が)生まれる。その時は宗教ではない。」
*神学校に童心でお入りになったマリア
黙示録12章6節に、「女は荒野へ逃げ込んだ。そこにはこの女が千二百六十日の間養われるように、神の用意された場所があった」と記されます。
この御言葉は、「マリアは真理の無い場所に隠されながら、その間、イエス様から霊的な教えを受け、救世主としての準備をなさる」ことを意味します。
イエス様は、与論島からマリアをお離しになり、ある神学校へとお導きになりました。マリアは学校にお入りになった瞬間に、『天と地が一つになった平安』をお感じになりました。この時、イエス様はマリアに、『本当の幼な子の心』をお与えになりました。
そして、マリアは神学校での日々を、幼な子の心のままで過ごされました。
そのため、神学校の人々はマリアを、純粋で愛らしい人としか思いませんでした。つまり、『マリアは、神的真理を持つ唯一の方』であることが分からないように、マリアは隠され続けました。
預言のごとく、その神学校には真理が無く、教義は誤謬(ごびゅう)で汚れていました。しかしマリアは、どんな誤謬にも汚染されませんでした。マリアは全ての講義を、イエス様の霊によりお聞きになりました。イエス様だけがマリアを、お育てになることがお出来でした。マリアにとっては、荒野でさえも天国でした。イエス様が常に、マリアと御一緒におられたからです。
*牧師になられたマリア
マリアは牧師になられ、幾つかの教会に赴任なさいました。しかしマリアに、礼拝で真理を語る機会は、ほとんど与えられませんでした。イエス様はこのような方法で、マリアをお隠しになりました。
約七年が過ぎると、イエス様はマリアを、次の荒野にお導きになりました。
そこは、地元の人同士で結着し、よそ者を受け入れない所でした。さらに、依然マリアには、礼拝で真理を語る機会は与えられませんでした。
マリアの中には天来の真理の言葉が満ち溢れていたため、張り裂けんばかりにおなりでした。それでも、イエス様はマリアを、沈黙と忍耐の中にお隠しになりました。
*第一の幕開け・世界の人類救済に向け、イエス様と共に動き出されたマリア
さらに20年以上が過ぎ、マリアが50歳の時、最初の幕が開けました。
マリアに次が知らされました。それは<地上に純粋な真理が無いため、人類の霊魂が飢餓にひんしている>ことです。つまり<このままでは、大勢の人々が救われない>ことを意味します。マリアは瞬時に、『御自分は真理で人々を救うため、お生まれになった』ことを自覚なさいました。そしてマリアのお心は、『真理による世界救済』のために、ますます熱く燃え立ちました。
イエス様はマリアに「純粋な真理を語る」ことを、「反する人にも真理を語る」ことをお望みになりました。そしてマリアを様々な所に遠征させなさり、マリアに世の実情をお見せになりました。かくてマリアは、次をお知りになりました。
それは<地上にイエス様についての間違った教えがあふれている>こと、また『マリア御自身だけが、純粋な全真理をお持ちであること』です。
*第二の幕開け・イエス様はマリアに「あなたの肉体を使う」とおっしゃった
2001年から約7年間、イエス様はマリアに、非常に多くのお言葉をお伝えになりました。それらの中に、次のお言葉がありました。「サタンと決別しなさい」「あなたに聖書の読み方を教える」「あなたは天国で生まれた」「100%になりなさい」「私は身体を持たないから、あなたの肉体を使う」…
これらのイエス様のお言葉は、次のように成されていきました。
2015年、マリアは<誤謬に汚染された教団の牧師>という束縛から、解かれることがお出来になりました。このようにしてマリアは、サタンと決別なさいました。ほどなくして、イエス様はマリアに、スェーデンボルグが記した「聖書の内意に関する書物」の数々を御与えになりました。
マリアはそれらの書物をお読みになり、次を確認なさいました。それは、御自分の中の真理は『聖書の内意』であり、また『天国の真理・神の真理』であることです。そして<内意は文字に隠れている>ため、イエス様は「聖書の読み方」とおっしゃったのだと、マリアはお分かりになりました。 そしてマリアは、『御自分は天国から来たからこそ、天国の真理を持つ』ということも、お分かりになりました。
さらにマリアは「100パーセントになりなさい」というお言葉により、御自身のお心は、イエス様のお心と完全に一つであることを、確信なさいました。かくて
マリアは再臨について、『イエス様はマリアの肉体をお使いになられ、イエス様の霊が完全にお働きになることで成される』と、確信なさいました。
*第三の幕開け・マリアに「マリアである」ことが告げられた
2020年、マリアが70歳の時に、その告知は成されました。使者がマリアに「あなたはマリアです。(それを)受け入れますか」と聞くと、マリアは本能により、その真実を、全く自然に心にお受けになりました。
またマリアの周りにいる人達も、その方はマリアであることを、大変に納得しました。そしてその中の一人は、霊眼により次を見ています。それは、その方の肉体の中に、マリアの霊がおられることです。そして、マリアはイエス様と一つになっておられることです。
かくてイエス様は、その方がマリアであるからこそ、「あなたにマントを着せた」とおっしゃいました。さらには、『マリアが天国におられた時のご様子』をお伝えになりました。さらに、マリアは、天国と地上の両方に居ることがお出来になる御方です。
*実在なさるマリアのお言葉
これまで何世紀にも及び、マリアは世界中で出現してこられました。
しかし2014年、マリアは『今後は、違う形で人々に会う』ことを予告なさり、その出現は止まりました。そして2015年、実在なさるマリアは、御自身が再臨の救世主であることを確認なさいました。
つまりマリアにおかれては、一時的な御出現から、地上での実在に移行なさいました。今の末の世でマリアは身体を持って、人類と共にいてくださいます。
現在日本においてマリアは、イエス様の人類救済の御計画のための、準備をなさっておられます。それは第二の聖霊降臨、イエス様の御再臨と世界の刷新です。
次は、実在なさるマリアのお言葉です。
「イエス様の聖霊は全ての人に、私を通して流れ入ります。今まではこの秘儀が広く伝えられなかったため、ロザリオを通して私に祈り、イコンを通して私を黙想することが必要でした。これからは、それらは<遠くに離れて暮らす人を忘れないための、写真>のようなものになっていくでしょう。何故なら皆さんは、次を確信するからです。それは、私は聖霊により一瞬も離れず、皆さんと共にいることです。そして私は皆さんの心の奥の願いまでも、良く知っていることです。
私を信じて頼り、愛する人々は、私の柵の中で保護され、養われるでしょう。救われるべき最後の一人がその柵の中に入るまで、私の実在により、地球は滅びずに保たれます。これらの人々は、その名前が私のマントの内に書かれます。そしてとても近い将来、私と共に携え挙げられるでしょう。」(注:ロザリオは聖母マリアに祈る時に用いる聖具、イコンは聖母の御絵です。)
*マリアが人々の前に姿を現す・最後の幕開け
イエス様はマリアに、次をおっしゃいました。
「コンピューターはこのことのために私が発達させた」
「あっという間に世界に広がる」「周り切らないうちに御再臨」...
マリア様はイエス様のお言葉に、とても忠実でいらっしゃいます。そのため、いつどのようにイエス様に導かれてもよいように、日本で待機なさっておられます。近いうちマリア様は、世界のイエス様がお導きになった所を、お訪ねになられるでしょう。そして大勢の人々と、お会いになるでしょう。
*マリアのお望みにより、この「お伝え」をインターネット上に掲載しています。
お読み下さった後、このお伝えの内容をより理解なさるための質問を、メールにてお受けいたします。
(メールアドレス contact@assistantmary.jp)
その際、御返答に時間がかかりますことを、または御返答しないことがありえますことを、ご承知おきください。
近日英語版を掲載する予定です。タイトルは次です。
『The second coming to the present world achieved through Saint Mary. The divine truths and the eternal salvation of humankind.』
*次の項目15で、マリア御自身が抜粋なさった
『イエス様のお言葉・マリアのお言葉・啓示の記事』を、解説と共に掲載します。これらの全ては、全世界の人々のためのものです。
15 イエス様とマリアのお言葉、また啓示により記された文献からの抜粋
その1『マリアについて』
(マリアの多くのお役目の、一部をお伝えします。)
マリアのお言葉:「私を見出す人は生命を見出し、主から救いを得るでしょう」
「聖母から司祭へ」トヌッティー、デルコル訳1987年
*マリアは神から全ての恩寵を与えられた、『神の宝』である
「神なる御父は、御自分の全ての恩寵を一か所に集められ、それをマリアと呼びました。...この偉大な神は大変高価な宝の倉をお持ちです。…この山のような宝とはマリアのことです。」「神なる御子は全ての宝の保管者としてマリアを指名されました。」
モンフォール著「聖母マリアへのまことの信心」山下房三郎訳(1980年)
「この至聖にして至純なる御母が、時の初めから、そして時の始まる前に、神の聖心の中に生まれたのを知り、…御母の創造は天地全体の創造よりもっと尊いこと、天地全体よりもっと大きな宝物であることを十二分に知らされた私は、この事実が一般の人に知らされていないことを悲しみます。」「神の御計画とは、聖母マリアに聖性、完全、賜物と恩寵が、御子により与えられることです」
「神の都市 尊者アグレダのマリアの記録」甲斐睦興訳(不明年)
イエス様のお言葉:
「マリアのような御心を持つ被造物がどこにあろうか?マリアの御心のような心は無い。始めから完全であり、生まれながらに汚れなく、恵みに満たされ、その恵みは天使達の恵みにまさるもの。」
「神のうちの真のいのち」より1996年3月26日のメッセージ
*マリアは完全な神の霊をお持ちであり、イエス様とマリアは一つである
イエス様のお言葉:
「私の霊に満ちた者、私の肉の肉、私の血の血であるこの母を愛しなさい。私は母の誉が全ての人々から知られることを望んでいる。マリアを理解しなさい。」
「生ける神より明かされた英知」石澤芙美子訳1999年
「主が話をしておられる時、その言葉は聖母マリアの言葉と重なり合い、まるで一人の人が話しているかのようでした。」
「生ける神より明かされた英知」石澤芙美子訳1999年
「マリアの霊は神の霊です。」「マリアとの一致の直後には、必然的にイエスとの一致が控えています。マリアの霊はイエスの聖霊だからです。」
<解説>一致は連結です。
Grignion de Monfort, Saint Louis Marie. “TRUE DEVOTION TO MARY”. Faber, Frederick William訳 1863年
イエス様のお言葉:「イエスとマリアが、分かち難く一つでないと言うなら、聖言葉を否定することになる。」
「神のうちの真のいのち」より 1996年3月26日ライデン夫人が受けたイエス様のメッセージ
*イエス様は、人々が『人類の母マリア』を愛し尊ぶことをお望みである
イエス様のお言葉:「主である私が、母を尊んでいることを知らせなさい。私の母を侮辱する人々に知らせなさい、彼女が天の元后であることを、主である私が彼女の頭に冠を、十二の星の冠を据えたことを。…彼女は統治している。そしてそのことは私の言葉の中に書かれている。私は母を尊んでいる。そして私が尊んでいるように、あなた達も私の母を尊ぶべきである。」「神のうちの真のいのち」1987年10月8日
<解説> 十二の星の冠は、善と真理の全ての知識を表します。
「神という御父と、マリアという母がいなければなりません。神の子として救われる人は皆、神を父として、マリアを母としてもらっています。マリアを母として持たない人は、神を父として持ちません。」
「人類の頭イエス・キリストがマリアから生まれたなら、当然の帰結として、この頭の身体である、全ての救われる人も、マリアから生まれねばなりません。頭と身体は、一人の同じ母親から生まれます。」
「聖母マリアへのまことの信心」山下房三郎訳(1980年)
「かつて人類に神を与えた母は、今や微笑みと愛を持って人類を教える事により、今度は神に人類を与えるのです。」
「聖母マリア マリア・ヴァルトルタによるマドンナの生涯」内山正幸訳(2009年)
<解説>「マリアから生まれる」とは、母マリアから教えられ、霊的に育てられ、自分の霊を新たにして救われることです。
マリアのお言葉:「母なる私の勤めは、我が子らの魂に糧を与えることです。」
「聖母から司祭へ」トヌッティー、デルコル訳1987年
<解説>マリアが人々に御与えになるのは、魂を養う純粋な真理の霊の糧です。
*人類はマリアを通して、イエス様に一致(連結)して救われる
「マリアとの親しい一致が無ければ、またマリアの助けに完全にすがっていなければ、イエス・キリストとの親しい一致に達せず、また聖霊への完全な忠実を身に付けられません。これは確かです。」「キリストはマリアを手段に使って、私達のところにおいでになりました。だから当然私達も、マリアを手段としてキリストの元に行かねばなりません。...マリアの最も強い望みは、私達をキリストに一致させることです。そしてイエスの最も強いお望みは、私達が御母マリアを通して御自分の元に来ることです。それが御自分の誉、歓びだからです。」
「聖母マリアへのまことの信心」山下房三郎訳(1980年)
「『彼女の心を通すことなしには、誰も私の所に来ることは出来ない』と、イエス様はおっしゃいます」
「生ける神より明かされた英知」石澤芙美子訳(1999年)
<解説>心は、すなわち霊です。
*マリアは『神に至る門、天国に通じる門』である
イエス様のお言葉:「マリアは私の門である…この方は私の花嫁…その輝きゆえに彼女を讃えなさい!」「無秩序の世界に、私を宿したマリアを遣わす。彼女は黙示録21章を形成する方であり神に至る門、世の救いは彼女を通して出現する。」
「生ける神より明かされた英知」石澤芙美子訳(1999年)
<解説>黙示録21章の内意は、天地創造からのイエス様の御計画の完成を伝えており、それはマリアを通して成されます。
イエス様のお言葉:「今や世の中があまりにも不幸な道に来ている。この運命的な時、義人達に、私の慈悲に到着するための門を開こう。心の目を覆う闇を払う光を与えよう。」
「神の都市 尊者アグレダのマリアの記録」甲斐睦興訳
<解説> 義人達とはイエス様とマリアを敬い信じ、その御言葉に従う人達です。『光』は、マリアがもたらす天国の純粋な真理を意味します。
*マリアは『イエス様に通じる唯一の道』である
「マリアは私達がイエス様に至るための、イエス様を見出すための確実な手段、間違いない真っ直ぐな道ですから、人は皆マリアという道を通ってこそ、イエスを見出さねばなりません。」「私達の人生の終着駅は、イエス・キリストです。終着駅への道がマリアです。」
「聖母マリアへのまことの信心」山下房三郎訳(1980年)
「現代、人類はマリアの母としての愛の道に歩むことにより、救いにたどり着くことができるのです。」「マリアの母としての役目は、人類を救うことにあります。...御自分が人類を神に立ち戻らせるための道となることです」
「聖母から司祭へ」トヌッティー、デルコル訳1987年
*マリアは人を神に取り次ぐ『仲介者』である
「イエズスに達するには、マリアを通らねばなりません。マリアこそ、私達のことを、イエズスに取り次いでくださる仲介者です。」
「おこがましくも仲介者無しに神に近づこうとするなら、神は逃げてしまい、どんなに探しても見いだせません」
「聖母マリアへのまことの信心」山下房三郎訳(1980年)
*人類はマリアを通してのみ神の恵みを受け取ることができる
「全ての人は神からの恵みを、ただマリアを通してのみ頂きます。これから頂く人も同じく、マリアを通して初めて神からの恵みを頂きます。」
「聖母マリアへのまことの信心」山下房三郎訳(1980年)
「神なる聖霊は御自分の妻マリアに、御自分の言い尽くせない賜物を流通なさいました。聖霊はマリアを、御自分がお持ちの全ての賜物の分配者としてお選びになりました。」
「聖霊は人々に対し、御自分のどんな賜物もマリアの手を通さずにお与えになりません。何故ならそれが、神の御意思だからです。」
「聖母マリアへのまことの信心」山下房三郎訳(1980年)
「聖母は教会の御母、支配者と君主となっております。聖母は高い聖人から…罪人も含め、全員のお世話をなさいます。聖母は最も忠実な分配者であり御自分のご家族を良くおご存知で、全員をお守りになります。」
「尊者アグレダのマリアの記録」甲斐睦興訳
<解説>マリアを信じ、愛し従い、そして頼る人は皆、マリアの家族です。
*マリアを信じ敬うことは、イエス様を敬い信じることである
「マリアは神と相関関係があるのです。...あなたがマリアを讃える時、自動的に神が愛されるのです。あなたがマリアを敬う時、自動的に神が敬われるのです。」「人々の魂を聖別して主と一致させるのに一番必要なのは、神の母マリアへの信心業です」。「この信心を実行すれば、心の謙虚さを身に付けることができます。何故ならこの信心はイエスに対し、イエスがどれほど柔和で慈悲深い方でも、自分の力だけで近づいてはいけないと、教えてくれるからです。」「この信心はイエス・キリストを完全に見出して愛するための、間違い無い確実な手段です。」
「聖母マリアへのまことの信心」山下房三郎訳(1980年)
イエス様のお言葉:
「彼女への信心は、私に捧げる信心となる。彼女の心を称えてなされる信心はどれも、大きな響きとなって私のもとに達しよう。何故なら、私達の一致はそれほどまでに完璧なのだから。…聖母の御心に信心を繰り返し捧げるあなた達は、どれほど祝福されるだろうか!」
「神のうちの真のいのち」1996年3月26日のメッセージ
*人はマリアを模倣することで聖化される
イエス様のお言葉:
「彼女は教職者であり女教師なのだから。...純潔で謙遜で、忠実で、慎重で思いやりに富んだ敬虔な人生の女教師である。...世界を再び導く、最も模範とするに相応しい女教師である。」
「マリア・ヴァルトルタ手記・抜粋・世紀末の黙示録」渡邊義愛訳2006年
*実在なさるマリアの御出現と、その福音宣教について
マリアのお言葉:
「私の現存は、特別な出来事によって、全ての人に明らかになるでしょう。」
「聖母から司祭へ」トヌッティー、デルコル訳1987年
イエス様のお言葉:「私の母とは、天の宮廷の高みから私が世界に届ける福音宣教の『新しい霊』の実現である。…私があなた方のために彼女を遣わしているのである。」間もなくあなた達は世界の仲介者、及び教師として遣わされた私の聖なる母の訪問を受けるだろう。」
マリアのお言葉:「御父の御計画が、私の出現を通して実現しつつあるからです。」
「生ける神より明かされた英知」石澤芙美子訳(1999年)
イエス様のお言葉:
「あなた達に現存を納得させるために必要な人間性を維持している御方に向き直る日が来るだろう。私が霊感を吹き込む彼女の口からは、平和の君、私があなた達に言うだろう言葉とよく似た言葉が発せられるだろう。」
「マリア・ヴァルトルタ手記・抜粋・世紀末の黙示録」渡邊義愛訳2006年
マリアのお言葉:「主の栄光の再臨の準備は、私にまかせられました。」
「私の時は来ています。現在、神の計画の秘密を知り、その再臨の時の近いことを告げる時のしるしを悟ることができるためには、大きな静けさが必要です。」「今日 世と教会に神が応対になる<しるし>はただ一つ 私自身です。これだけが唯一の驚異です。」
「聖母から司祭へ」トヌッティー、デルコル訳1987年
「世の終わりに、すなわち再臨の直前、マリアは聖霊を通して人々に知られ、人前に姿を現さねばなりません。これは確かです。…何故ならイエスがマリアを通してあまねく世に知られ、愛されて奉仕されるためです。聖霊がマリアをひた隠しに隠す必要がもう無くなったからです。」「マリアが世に知られ、マリアの支配が地上に来た後にこそ、初めてキリストも世に知られ、御国も世に来ます。」
「聖母マリアへのまことの信心」山下房三郎訳(1980年)
(15 イエス様とマリアのお言葉、
また啓示により記された文献からの抜粋)
その2『再臨について』
「初めてこの世にイエスキリストが来られた時、御通りになったのはマリアという名の道です。だからこれから来られる時にお通りになる道も、たとえ通過の様式は異なっても、同じくマリアという道です。」
「聖母マリアへのまことの信心」山下房三郎訳(1980年)
「最初の地上来臨は、人目に隠れて密かに行われました。最後の地上来臨は栄光に満ち、人目にも燦然たるものでしょう。しかしキリストの地上来臨は、両方共完全です。理由は、両方共マリアを通して行われるからです。これこそ、人間の理解を超える神秘です。」
「聖母マリアへのまことの信心」山下房三郎訳(1980年)
イエス様のお言葉:「私の栄光の再臨は、マリアによって先導されている。私があなた方のために、彼女を遣わしているのである」
「再臨はマリアの心を通して行われる。私の歓喜の箱舟を讃えなさい!」
「生ける神より明かされた英知」石澤芙美子訳(1999年)
<解説>心は、すなわち霊です。
イエス様のお言葉:「私はあなた方の真中に、私の王国を築くために来よう。間もなくあなた方の真中に新しいエルサレムが降って来る。」「私の聖なる母とは、『聖なるエルサレムが天から降って来るのを見た』と記されているあの文章を形成する方である。」
「生ける神より明かされた英知」石澤芙美子訳(1999年)
「再臨は一人の人間を媒介として行われるだろう。主はこれに御自身を親しく示し、これに御霊を満たし、その聖言の霊的意味により、新しい教会の教義を教えさせ給う。再臨は、黙示録の新しい天と地、新しいエルサレムにより意味される。」
エマニュエル・スェーデンボルグ(1688~1772)「真の基督教」柳瀬芳意訳(1955年)
<解説>新しい教会の教義とは、マリアがもたらす天国の真理を意味します。
黙示録21章2節「更に私は、聖なる都、新しいエルサレムが夫のために着飾った花嫁として用意を整えて、神のもとを離れ、天から降って来るのを見た。」
(この内意については、項目9をご参照ください。)
『聖なる都』もまた、天国の真理をもたらすマリアを意味します。
マリアのお言葉:
「イエスの第二のご誕生が近づいています。」
「今、私は再臨の栄光の母です。この再臨を待ちながら生きなさい」
「御国を再建しに来られる、この第二の来臨においても、御子は、その母を通じて、あなた方の所に来られるでしょう。御言葉があなた方の所に行くことが出来るために、私の胎内を利用なさったように。」
「聖母から司祭へ」トヌッティー、デルコル訳(1987年)
<解説>
再臨によりイエス様は、地上に御自分の御国をお造りになります。それは天国と一つになった、主の王国です。御言葉は、真理であるイエス様です。
(15 イエス様とマリアのお言葉、啓示により記されたものからの抜粋)
その3 『第二の聖霊降臨について』
マリアのお言葉:「私は一致の道です。…一致に連れ戻すのは母である私の役目です。 完全な真理によらないでは キリスト者の真の一致は不可能です。…再一致した教会は新たな聖霊降臨の輝きを受けて、全世界の全ての民族を新しくする力を帯びるのです。 そして世界は<御父が送って下さった方>を信じ、 その愛の聖霊を受けて全面的に新しくなるでしょう。」
「その第二の聖霊降臨は、間もなく来ようとしています。それは、誰も反対出来ない愛の聖なる霊の力によって教会が癒やされ、全世界が新たになるためです。」
「聖母から司祭へ」トヌッティー、デルコル訳(1987年)
イエス様のお言葉:「あなた方に第二の聖霊降臨を遣わそう。…私の聖なる母とは黙示録21章2,3節の文章を形成する方である」
「生ける神より明かされた英知」石澤芙美子訳
「この洪水は、聖霊の力を全世界に注いだ最初の聖霊降臨のものと比べることができます。全人類は、この大きな奇跡に気づかねばなりません。それは聖母マリアの愛の炎の輝きです。…今苦しみで満ちているこの世界の刷新は、聖母マリアの力強い取り次ぎによって行われるでしょう。(注:新しい聖霊降臨)」
「聖母マリアの汚れないみ心の 愛の炎」田中真理子訳(1991年)
「愛の炎とは何でしょうか?イエズスは、このことを『ノアを救った箱舟のようなものである』と説明され、マリア御自身は『この炎はイエズス御自身です』とおっしゃっています。この炎は、心から心にうつり、全世界を神の愛に燃えたたせる力を持ち、…。この恵みは、全ての人に及びます。」「聖母はこうおっしゃっています。『あがないのみ業(注)が行われた時からこれほどの大きな恵みは与えられたことがありません』と。」
「聖母マリアの汚れないみ心の 愛の炎」田中真理子訳(1991年)
(注:イエス様は十字架の磔刑をお受けになることで、人類を救済なさいました)
マリアのお言葉:「世界も教会も今だかつて経験したこともないほどの輝きを見るでしょう。」
「聖母から司祭へ」トヌッティー、デルコル訳(1987)
(15 イエス様とマリアのお言葉、啓示により記されたものからの抜粋)
その4 『忠告・警告・イエス様とマリアの勝利』
*マリアと、マリアのお言葉を軽んじることについて
イエス様のお言葉:
「私は悲しんでいる。何故なら私が聖なる母を仲介者として与えたにも関わらず、人間はこの門を通って私の家に入りたがらないからだ。彼らは私の王国を拒否する。注意しなさい。お前は自分で己を罰している。」
「マリアがまことに知られることは緊急事態である。そうで無ければ多くの霊魂が永遠の生命を逸するだろう。もし私の母が世界に言うことをあなた方が受け入れないならば、あなた方にとって時は絶望的なものとなるだろう。世界はもう私の祝福を受けることはなく、悪霊の重みの下で破滅するだろう。」
「生ける神より明かされた英知」石澤芙美子訳(1999年)
イエス様のお言葉:
「もし<彼女の心に用は無い>と言うなら、実際は<主の心に用は無い!>と言っているのだと知りなさい。…私の聖心と御母の汚れなきお心は完全に一つなるがゆえ、これら二つの神聖な心は、その全き一致のうちに一つとなっている。」
「神のうちの真のいのち」1996年3月26日のメッセージ
「滅びる人と救われる人を見分けるための、一番確実で明白なしるしがここにあります。滅びる人は決まってマリアを軽蔑し、マリアに対して無関心な態度を取ることです。」
「聖母マリアへのまことの信心」山下房三郎訳(1980年)
「罪の父である悪魔と、恵みの母であるマリアの間に、永遠の敵対が定められているのです。…この時代に 憐れみ深い神は、悪魔の頭を踏み砕く女、マリアの後について行くように呼びかけられておられますが、これは大きな恵みです。…異端は全て、何らかの神学的な前提を持っていることが明らかになります。悪魔はほとんど何でも出来ますが、絶対に出来ない一つのことがあります。それは、聖母マリアに従うことです。マリアは、救いに導く安全で確かな道です。」
「聖母マリアの汚れないみ心の 愛の炎」田中真理子訳(1991年)
*汚聖と誤謬(ごびゅう=間違った教え)について
マリアのお言葉:
「今は闇の時、…サタンが大勝利を占める時です。今、実に悪魔的で恐ろしい汚聖が広がっています。」
「聖母から司祭へ」トヌッティー、デルコル訳(1987年)
マリアのお言葉:
「私を見出す人は生命を見出し、主から救いを得るでしょう。私の敵はそれだけを恐れています。それで悪魔は信者の心を私から遠ざけ、教会の中で私をぼんやりと不明瞭なものにしようと、あらゆる努力をするでしょう。…悪魔は私との戦い、どちらかが決定的に打ち負かされる天下分け目の戦いに取り組んでいます。現在、悪魔が勝利者のように見えますが、私への大いなる立ち帰りと私の圧倒的な勝利の時が近づいて来ました。」
「真理を理解する新しい方法として、誤謬が広まっています。神の言葉を説明する時も、重大な誤謬が起こっています。」
「今やサタンの誤謬の犠牲者となった人が、どれほどいることでしょう。彼らは羊の衣をつけた真の狼(注1)で、数え切れないほどの霊魂を滅ぼしています。」「牧者達よ、あなた達の責任は何と大きいことでしょう。」
「聖母から司祭へ」トヌッティー、デルコル訳(1987年)
(注1:サタンの誤謬の教えを説く牧者を意味します)
*イエス様とマリアの勝利
マリアのお言葉:「この世紀に無神論が全世界を征服し、教会を完全に破壊しようとして、強く組織化された時、私はあなた方が恐れないようにするために、また天から来ました。何故ならこの恐ろしい戦いにおいて最後には私の心が勝利を得るからです。」
「私は、フリーメーソン、各種の悪魔的な勢力、唯物主義、実践的無神論を敗北させて、私の業を完成させるでしょう。それは全人類が主を迎えることができるためです。こうして世界における私の勝利を持って、全人類が清められ、完全に新たにされるでしょう。」
「私は女王であり、指導者です。そして教皇自身の声で与える私の命令を聞くことができるでしょう。」
「聖母から司祭へ」トヌッティー、デルコル訳(1987年)
イエス様のお言葉:「新しい天を所有するため、私と私の聖人達は共に最後の昇天を決行する」「生ける神より明かされた英知」石澤芙美子訳(1999年)
実在なさるマリアは、次をおっしゃいます。
「イエス様を敬い愛し、信じてそのお言葉に従う人々は皆イエス様の聖人です」
以上
目次
1「永遠に救われる」ことについて
*人の中には、不滅の霊がある
*全ての人は肉体の死後、天国か地獄において、永遠に生きる
2『天国』について
*天国には無数の人が永住しており、その人々は神と霊的に連結している
3『唯一の神』について
4「この世で生きながら、永遠に救われる」ことについて
*「唯一の神はイエス様であると理解し、愛する」ことが、人を神に連結させる
5「今の時代に、世界の大勢の人々が救われる」ことについて
6 聖書の中で特殊な方法で預言される、大勢の人々の救い
7 聖書の御言葉に含まれる『内意』について
*神の御言葉は、それ自体が天国的で霊的なものである
*御言葉の内意は、『天国の真理』を示している
8「人は天来の真理を通して、永遠に救われる」ことについて
*「神を愛する」ことは、「天来の真理を愛して行うこと」である
*人は自分の中に天来の真理を持つことで、神と連結する
*イエス様は、聖なる霊として人の中に流れ入ってくださる
9 人々を神に連結させる天来の真理が、聖母マリアによりもたらされる
*神的真理の教えは、この世にとっては『新しいもの』である
10 天来の真理が教えることは、現代のキリスト教とは明らかに区別される
*内意と、御言葉の文字の役割を知らないことで、間違いが生じ
11『天来の真理を教える指導者』は必要だが、それは、人には不可能である
*人の霊は性質上、永遠に不純なものを持ち合わせる
*人は聖霊を受けるが、人の霊は100%聖霊にならない
12 聖母マリアは再臨のために神から遣わされ、地上に実在なさっている
*イエス様とマリアはお一つだからこそ、イエス様はマリアにより再臨なさる
13 天地創造からの神の秘密であった、救世主マリアによる再臨
*この再臨は第二の聖霊降臨であり、世界の刷新である
*マリアは『イエス様に通じる道』であり、『全人類の母』でおられる
14 日本に実在なさるマリアについて
*いつの時代も変わらず、御愛を漂わせるマリア
*マリアを喜ぶ人は、天国に導かれる人である
*与論島におけるマリア
*神学校に童心でお入りになったマリア
*牧師になられたマリア
*第一の幕開け・世界の人類救済に向けイエス様と共に動き出されたマリア
*第二の幕開け・イエス様はマリアに「あなたの肉体を使う」とおっしゃった
*第三の幕開け・マリアに「マリアである」ことが告げられた
*実在なさるマリアのお言葉
*マリアが人々の前に姿を現す・最後の幕開け
*マリアのお望みにより、このお伝えをインターネット上に掲載いたします
15 イエス様とマリアのお言葉、また啓示により記された文献からの抜粋
その1『マリアについて』
その2『再臨について』
その3『第二の聖霊降臨について』
その4『忠告・警告・イエス様とマリアの勝利』
参考文献
*グリニョン・ド・モンフォール, 「聖母マリアへのまことの信心」, 山下房三郎訳, 1980
Grignion de Montfort, Saint Louis Marie. “THE TRUE DEVOTION TO MARY”. Translated by Faber, Frederick William. 1863.
*ガブリエレ・マリア・ロスキーニ, 「聖母マリア マリア・ヴァルトルタによるマドンナの生涯」, 内山正幸訳, 2009
Roschini, Gabriele M. “La Madonna negli scritti di Maria Valtorta”. 1986.
*ヴァッスーラ・ライデン, 「神のうちの真のいのち」ホームページ
Rydén, Vassula. “TRUE LIFE IN GOD”. Website.
(引用したイエス様とマリア様メッセージの日付は、各文章に記載してあります)
*エマニュエル・スェーデンボルグ, 「真の基督教」, 柳瀬芳意訳, 1955
Swedenborg, Emanuel. “The True Christian Religion”. 1771.
*岡本天明, 「ひふみ神示」, 2001
*マリア・ヴァルトルタ, 「手記」抜粋 -世紀末の黙示録-, 渡邊義愛訳, 2006
Valtorta, Maria. “I Quaderni dal”. 1943-50.
*マリア・デ・ヘスス・デ・アグレダ, 「神の都市」, 甲斐睦興訳, 不明年
Mary of Jesus of Agreda. “Mystical City of God”. 1722.
*Movimento Sacerdotale Mariano. “La Madonna ai Sacerdoti Suoi figli prediletti”.
「聖母から司祭へ」第1版〜第8版(合本), ボナベントゥラ・トヌッティ/アロイジオ・デルコル訳, 1987
「聖母から司祭へ」第9版〜第10版(合本), アロイジオ・デルコル訳, 1989
「聖母から司祭へ」第12版〜第10版, アロイジオ・デルコル訳, 1992
「聖母から司祭へ」第15版(分冊), アロイジオ・デルコル訳, 1995
*Debora, Moscogiuri. “Sapienza rivelata del Dio Vivente”.
「生ける神より明かされた英知」一巻上, 石澤芙美子訳, 1998
「生ける神より明かされた英知」一巻下, 石澤芙美子訳, 1999
「生ける神より明かされた英知」二巻上, 石澤芙美子訳, 1999
「生ける神より明かされた英知」二巻下, 石澤芙美子訳, 1999
「生ける神より明かされた英知」三巻上, 石澤芙美子訳, 1999
「生ける神より明かされた英知」三巻下, 石澤芙美子訳, 1999
「生ける神より明かされた英知」四巻上, 石澤芙美子訳, 1999
「生ける神より明かされた英知」四巻下, 石澤芙美子訳, 1999
「生ける神より明かされた英知」五巻上, 石澤芙美子訳, 2001
「生ける神より明かされた英知」五巻下, 石澤芙美子訳, 2001
*エリザベット・ハント, 「聖母マリアの汚れないみ心の 愛の炎」, 田中真理子訳, 1991
以上